平成24年6月29日

当館に展示されている口径45㎝の皿を解釈してみます。

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 鯉の絵柄に菊型の文様を帯状に縁どりしています。ダミの濃淡は4種類程度。線は細くスムースに引かれておりかなり手慣れた絵描人のものと推定されます。ダミも乱れはなく濃淡の使い方が適確で奥行きのある絵柄に仕上がっています。
 縁どりは志田の場合あまり手の込んだものはありません。この作品はかなり手の込んだ部類に入ります。
 焼き方はやや還元のかけかたが弱かったようで白味が若干足りないように感じられます。また、温度もやや低めといったところでしょうか。
 余白部分にはゴマ粒大の「降りもの」が目につきます。更にはよく見ると薄く黄色い1mm程度の斑点が無数にある事が分かります。是は、薪をくべる際に灰が舞い上がり降ってきたもので、薪窯の宿命と云っていいでしょう。当時は「ボシ」(製品を入れて焼くための容器)とかはありませんでした。現在のガス窯には灰の降りものは全くありません。もう少し温度を上げてやるとあまり目立たなくはなります。
 年代は明治4年から20年の間に出来たものと推定されます。4年という意味は、コバルトを使用した「明治4歳」という銘入りの型紙摺り染付皿(嬉野市指定文化財)があるからです。20年については数多くある明治期、窯跡の物原の状況から判断したものです。明治初期の「志田は皿のみを作り敢えて他物を製せず」と記録された状況は20年頃までのようです。

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 底の落ち込みを防ぐための針跡が九つあります。志田の製の中では比較的整然と並んでいる方でしょう。
 右端や左斜め下、高台内にはコバルトの汚れが見えます。手に付いていた絵具が皿を持った際に製品に付着してしまったもので、はっきりとした指の跡まであらわれています。コバルトの発色は強力でほんのわずかの付着でもはっきりと色が出てしまいます。普通は拭き取るのですがそのまま釉をかけて焼いてしまう場合があったようです。

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 写真中央部右寄りの縁に下から上に向かって一筋の白い線が現れています。これは表側に白い化粧土を掛けた時に裏側の方に流れてきてできた筋です。白磁に白化粧を施すという技法は一般的には考えも及ばないような方法なのですが(少なくとも私にとっては)、江戸期からこれは行われておりました。一升以上入るような徳利には刷毛目をしている物もあります。また、1800年代初期の湯呑にも刷毛目をしたものが見つかっています。
 白化粧をした理由は、生地の発色があまり白くなっかったからと考えられますが、かなり白い生地にもやってますね。どうやら天草石は泉山石よりも品質が劣ると云った意識が根っこにあったように思えてなりません。天草が泉山に劣らず品質が良いと云われるようになったのは明治後半以降のことと思われます。
 この白化粧のある事が志田焼の証となります。
                           文責 志田焼の里博物館 青木 
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by shidayaki | 2012-06-21 16:36


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